私の通っていた小学校では、
給食の時間に児童が校内放送で
日記を読むコーナーがありました。
生徒150人くらいのちっちゃな小学校だったので
全員に順番が回ってくるのですが、
笑点を見た感想の日記を読んだ覚えがありますw
30年前から”死にかけの老人”っていじられてた
桂歌丸さんですが・・・
ついに、本当に亡くなってしまったんですね。
あの笑顔がもう見られないと思うと
すごく悲しい気持ちになります。
桂歌丸さんについて、
若い頃の画像や動画は?
煙草は吸っていたのでしょうか?
お酒は飲まれる方だったのでしょうか?
”歌丸”襲名は誰なのか?
など、いろいろ調べてみました。
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桂歌丸さんについて
名前 :桂 歌丸
読み方 :かつら うたまる
本名 :椎名 巌(しいな いわお)
生年月日:1936年8月14日
年齢 :81 歳
血液型 :A型
身長 :165 cm
出身地 :神奈川県横浜市
出身高校:横浜市立横浜商業高等学校定時制中退
生家は横浜の遊郭で、
屋号を「富士楼」というのだそうです。
奥さんの名前が「冨士子」さんですが、
ものすごい縁ですよね。
小学生から落語家を目指し、
中学3年で落語家になった歌丸さん。
昔っからおじいさんネタが多かった印象がありますが、
まだ80歳なんですよね。
100歳まで現役でいてほしかったので
本当に残念でなりません。
もう、円楽さんとのやり取りも見られないんですね・・・。
若い頃の画像は?
私が小学校くらいの頃から
”死にかけ”ネタで笑いを取ってきましたが、
その頃ってまだ40台のはずですよね。
昔っからおじいさんみたいだったんでしょうか?
実は、だんだん老けていったのでしょうか?
気になって昔の映像を探してみたのですが
あまり古いものはみつかりませんでした。
テレビで訃報について特集していたときに見た
38歳の頃の画像がこれです。
これが1975年頃の画像なので、
私ですら生まれる前ですが・・・
今見ると、歌丸さんも昔は若かったんだなって
つい失礼なことを考えてしまいました。
他にも、12年前の69歳の歌丸さんの映像がこちら
もうすでに司会者をされてますね。
他にも、
1975年の笑点をYoutube で見つけました。
↑をクリックして見てみてください!
昔の歌丸さん、当たり前だけど若いですね。
他にも、画像や映像を見つけたら
追記していこうと思います。
お酒や煙草は?
歌丸さんの死因は、
慢性閉塞性肺疾患だそうです。
肺疾患というと、どうしても
煙草との関係を疑ってしまいますよね。
歌丸さんは愛煙家だったのでしょうか?
少し調べてみたのですが、
どうも、ものすごい愛煙家だったようですね。
50年近く、缶ピースを1日40本以上吸う愛煙家だった。
「ストレスからじゃない。あれは、一つの癖ですね。
入院して治る。また吸ってまた入院。
まさか、こんなにひどくなるとはねぇ」
缶ピース一日40本はすごいですね。
それでも80歳まで現役だったのなら、
むしろ長生きにあまり影響はなかった?
最後は、煙草が後を押してしまったのかもしれませんが
好きなものを楽しんだ人生なのかもしれませんね。
落語家だし、お酒も楽しんだのかと思いきや、
下戸で甘いものが好きだったのだそうです。
お酒の方は下戸で、
甘いものが大好きなスイーツおじいさんである。あんこはツブあんはダメ。
コシあんでないと食べないという
変なこだわりを持っている。
お酒は飲まない方だったんですね。
煙草もお酒もなんてことになったら
生涯現役は無理だったかもしれませんね。
『歌丸』襲名は誰?
桂歌丸さんといえば、
ずっと若い頃から同じ名前を使っていて、
お弟子さんに”歌丸”を継承、なんて話もなかったですよね。
『歌丸』を受け継ぐお弟子さんとか
いないのでしょうか?
師弟関係ではなくても、
もはや相棒のようになっていた
円楽さん(楽太郎さん)とか、
『歌丸』襲名にふさわしいのではないかと思いますが
円楽さんはその一門があって
歌丸襲名はおそらくしないでしょうね。
”歌丸”は桂一門で歌丸さんが初代の名前で、
歌丸さんの弟子は”歌”の付く高座名を名乗るのが通例だそうです。
歌春さんという惣領弟子の方がいらっしゃるのですが、
『歌丸』を継承は無いかもしれませんね。
もはや、伝説の落語家になったといえる歌丸さん、
これからは天国でゆっくりお休みください。